自己矛盾
自己矛盾は人間であれば誰しもぶち当たる問題であろう。こうありたいのに、そう出来ない。これほどまでに苦しいことは無い。
だが私は苦しいと同時にそれを面白いとも感じる。その矛盾を生み出しているのも思考であるのに、「思考と行動に矛盾が生じる」という。実際には何も矛盾してなどいないのに。欲求を理性が止めていると言う当たり前のことをしているだけなのに。
終電
先日、終電を逃しかけた。周りの電車が遅れてしまった為である。疲れていたが必死に早歩きをしてどうにか間に合った。
こう言う事をしていると、逆にいつもちゃんと間に合っている事にありがたさを感じる。駅員さんや車掌さん、いつもお疲れ様です。ありがとうございます。
雑学をなぜ長期記憶するのか
私は幼少期から読んだ本の影響で無駄に雑学を知っている。本当に必要のない雑学である。「あ〜楽しかった!時間が短く感じた!」と思う時、人間は実際にその程度しか老化していない……とかそんな感じのものを脳に詰め込んでいる。お陰で他人と話す時話題に困ることはないのだが、そこで気になることがある。
なぜ、雑学はこれほど頭に残るのだろうか?小学校の頃の記憶や、授業など一つも覚えていない。だが、小学生の頃に覚えた雑学は未だに覚えている。どう考えてもいらない情報を、私の脳は長期記憶すべき物だと捉えてしっかりと覚えているのだ。これはなぜなんだろうか。
これにおいて二つほどの仮説を考えた。
一つ目は、雑学はあくまでも「文字」の情報であるからではないのかと思う。だからきっと私が昔授業内容を書き起こして文章としていたら今でも覚えているんじゃないか。
二つ目は、わからない事がわかった時に、脳に報酬が与えられる為に記憶しやすかった可能性である。「わからない」は基本的に不快な情報である。だからこそ、人間はそれをどうにかして昇華しようとする。それほどの物の正体を知れた時、人間には多分気づいていなくても大きな報酬が与えられているんじゃないか。そのお陰で、「わからない事がわかったら、報酬がもらえる。つまりわからない事を理解することは重要であるのだ」と言った感じで、重要性がない情報でも「わかった」事によって「重要である」と認識されている可能性があると言う事だ。なんとなくこっちの仮説の方が可能性が高そうな気もしている。
勉強に関してもこれは一緒で、わかった瞬間が一番成長しやすいと思っている。学生には「わかった」の機会をより与えるべきだ。
価値観
価値観の違いすぎる友人との食事はかなり難しい。私は遠出したらその場所に限ったお店に入りたいと思うが、友人は安定と安さをとってチェーン店を勧めてくる。
せっかく出かけたのだ。美味いものを食いたい。だが、空気を壊さないためにはそれに従うしかないのだ。
いつか一人旅がしたい。周りの人に振り回されず、ゆっくりと自分の価値観で旅を楽しみたい。
衣替え
衣替えをしなければいけなくなる時期になった。面倒臭いものである。冬用のタンスと夏用のタンスを作って仕舞えば衣替えの必要がなくなるが、しばらく弄らずに置いておいて防虫剤置き忘れた!とかあったらめちゃくちゃ嫌なので仕方なく変えている。防虫剤を置き忘れた時に、自動で置いてくれるAIが欲しい。AIの使い道なんてこの程度平和であるべきだ。
おかしな夢
おかしな夢を見ることがあるのだが、それを自分の脳が生成しているのだと言うことを認めたくない。あんなに恐ろしいものが私の脳から生まれてたまるか。