funukekunの日記

日々のつぶやきを書きます

雑学をなぜ長期記憶するのか

 私は幼少期から読んだ本の影響で無駄に雑学を知っている。本当に必要のない雑学である。「あ〜楽しかった!時間が短く感じた!」と思う時、人間は実際にその程度しか老化していない……とかそんな感じのものを脳に詰め込んでいる。お陰で他人と話す時話題に困ることはないのだが、そこで気になることがある。

 なぜ、雑学はこれほど頭に残るのだろうか?小学校の頃の記憶や、授業など一つも覚えていない。だが、小学生の頃に覚えた雑学は未だに覚えている。どう考えてもいらない情報を、私の脳は長期記憶すべき物だと捉えてしっかりと覚えているのだ。これはなぜなんだろうか。

 これにおいて二つほどの仮説を考えた。

 一つ目は、雑学はあくまでも「文字」の情報であるからではないのかと思う。だからきっと私が昔授業内容を書き起こして文章としていたら今でも覚えているんじゃないか。

 二つ目は、わからない事がわかった時に、脳に報酬が与えられる為に記憶しやすかった可能性である。「わからない」は基本的に不快な情報である。だからこそ、人間はそれをどうにかして昇華しようとする。それほどの物の正体を知れた時、人間には多分気づいていなくても大きな報酬が与えられているんじゃないか。そのお陰で、「わからない事がわかったら、報酬がもらえる。つまりわからない事を理解することは重要であるのだ」と言った感じで、重要性がない情報でも「わかった」事によって「重要である」と認識されている可能性があると言う事だ。なんとなくこっちの仮説の方が可能性が高そうな気もしている。

 勉強に関してもこれは一緒で、わかった瞬間が一番成長しやすいと思っている。学生には「わかった」の機会をより与えるべきだ。