funukekunの日記

日々のつぶやきを書きます

「エモい」

 幼少期から「すごい」という言葉を感想として使うのに抵抗があった。「動物園にゾウがいてすごかった」「まじであれ凄くない?」等の用法の「すごい」の事だ。すごいという言葉は、感情の程度を表す言葉だから、それを感想として用いるのはおかしいと心の底で思っていたからだろう。あとは、一つの言葉で様々な感情を一纏めにしてしまっている事に対する違和感であろうか。だが当時の私は、自身の感情を表す言葉を知らなかった為、その言葉を使わざるを得ない事があった。その時、なんとも言えぬもどかしさに苦しんだ記憶がある。

 ある程度成長した私は、感想として「すごい」を用いる事は少なくなり、その様な事で悩む時間はなくなった。しかしまた現在、同じ様な言葉に悩まされている。それが「エモい」だ。

 海をバックに撮ったセーラー服の少女の写真。藍色に染まった夜空と対照的な色をした火花を散らす線香花火。人々はそれを「エモい」と呼ぶ。私もなんとなく「エモいなぁ〜」とか思ってその写真を見ているが、この「エモい」とは何なんだろうか。言い表せぬ感情を言葉にする努力をせず、一纏めにした結果なんじゃなかろうか。探せば「叙情的」だとか「悲壮感のある」とか言葉はいくらでもあるだろう。これはまさしく「凄い」と同じだと思う。自分の感情をそれで纏めてしまっているという事が非常にむず痒く、情けない。自分の語彙力で、自分の感情さえ語り尽くせないのだから。「エモい」という言葉を使わなきゃ語れない人生は流石に嫌だな。