funukekunの日記

日々のつぶやきを書きます

地震と陰謀論

 最近、地震が多過ぎやしないだろうか。体感5日に一回は大きな地震がある。私は地震が苦手であるので、いちいちとても嫌な思いをしている。

 地震といえば、それが起こると必ずと言って良いほどネット上起こる現象がある。トレンド入りだ。「南海トラフが〜…」とか「首都直下地震が〜…」とか沢山の人が一気にツイートをする為必ずトレンド入りする。私は地震そのものの情報(震度、震源等)を調べる為、トレンドから地震について調べる事が多いのだが、そこを調べていると中々に酷い物がある。

 その一つが陰謀論だ。「これは人工的な地震だ!!!恐ろしい!!」などと嘆いている人が悲しい事にかなりの量存在する。少し調べればそんな事はあり得ないと分かるはずなのに、出自もよくわからない資料を使って必死に主張している。

どうしてそういう情報を仕入れる能力があるのに、クロスチェックをしないのか。真偽を確かめる為には複数の資料、さらに信頼度の高い情報を確認するのが普通だろう。まあ彼等にとってはそういう情報なのだろうが。それでも反論意見も含めて調べて自分で考えて見るべきだ。調べただけで考えもせずそれを信じ込み発信する愚かさに気がつくべきだ。

 地震はよく調べない人を陥れる為の陰謀論を作るのに最も最適な場所だ。なぜならそのスケールが大きすぎるせいで普段から知覚することが難しい部分だからだ。ワクチンなどの話もそれだろう。こちらは逆に小さ過ぎて知覚できないという所が、調べない人にとって大きな穴になっている。陰謀論を考える人は、この穴を見つけて上手い事情報をでっち上げている。

 陰謀論が広まる事で得をする人が多分かなり居るんだろう。じゃないとこんな情報発信する価値がない。せめて自分はそんなものにハマらないように気をつけたいものである。

おふざけの暴力性

 帰り道、小学生を見かけた。仲の良さそうな2人だ。それとなく見ていると、片方がもう1人の腕を傘袋で思い切り叩いていた。ぺしっ!という音が出るほど強く、何度も、何度も。相手の子が痛い!といっても笑いながら叩いていた。その後、彼らとは道を違えてしまったから彼らがどのようになっているのかはわからない。ただ、これかなり危なっかしくないか。 

 私は幼い頃、机で寝ていた所に思いっきり他の机をぶつけられてその間に膝の皮を挟み、怪我をした事がある。その跡は今になっても消えていない。

 私の例は些細なことであるが、「おふざけ」は本当に洒落にならない物が多い。椅子を引くイタズラなどが代表的だろう。面白がってやった事が相手の将来に大きな傷をつけてしまう可能性がある。

 傘袋で叩く事がそんなに危ないか?という疑問があると思うが、私はそんな事を言いたい訳じゃない。傘袋で叩くという「暴力」が「おふざけ」という形で許されているのが恐ろしいのだ。

 「おふざけ」の範疇で留まっていればいいが、その範疇を超えた瞬間、それは事故になり、加害者と被害者が生まれる。「おふざけ」に「暴力」が含まれている事に対する怖さはここだ。些細な暴力でも痛いものは痛い。それ故に暴力をおふざけにしてしまうとその境界が曖昧になり、いつラインを超えるのかわからなくなる。小学生など、まだ暴力の概念を捉えきれていない人にとってはよりそうであると言えるだろう。どのくらいの強さで殴れば怪我をするのかよく分かっていない彼らは、相手を傷つけて初めて、それがおふざけでなく暴力だと気がつく。力加減もわからない状態の暴力を受けた相手はどんな損害を背負う事になるだろうか?

 おふざけに内包された暴力は、単純な暴力よりも恐ろしい事がある。「おふざけ」はそれを踏まえてやるべきだろう。

情報量

 久々にTwitterを再開した。やっていると、やはり情報量の多さに驚愕する。インターネットから離れている間の5倍以上の速さで情報が入ってくる。画面をスクロールするだけでフィルターバブルによって精査された私の為の情報が大量に手に入る。

 頭が混乱しそうになった。

時間切れ

 また時間を過ぎてしまった。帰宅してすぐに風呂に入ってしまって、日記が書けなかった。まあ普段から日記を書いているのか?と言われれば多分あれは日記じゃないんだろうが。私が考える時間を意図的に発生させるための動機に過ぎない。そんなことはどうでも良いのだが 。

 結局私が日記を書かない日ができるのは、この日記を待っている人がいないという点が多いのかと思う。私の日記が無くたって、悲しむ人はいない。ただ、悲しむ人がいないと言うだけで行動に対して責任を取らなくて良いと言う訳でもない。そんな事を許したら社会が狂う。私は自分に日記を書けと言う課題を課した。だから私は日記を書き続けなければならないのだろう。

早起きは三文の徳

 毎日、どれだけ寝ていても必ず眠い。友人と出かけている間、楽しいのにずっと欠伸をしているせいで友人に嫌な思いをさせているのではないかと不安になってしまう。

 私の普段の睡眠時間は約7時間。別に短すぎる訳でもないと思っている。だが眠いのだ。という事で検証をしてみる事にした。

 まずは8時間寝てみた。普通に眠い。7時間の時と全く変わらない。

 次に16時間寝てみた。とんでもなく眠い。これは酷い。

 逆に2時間だけ寝てみた。これもとんでもなく眠い。

 私が快眠を得て眠くない一日を過ごすのは不可能なんだろうか。そんな軽い絶望の中、私はその快眠を意外な形で得ることになる。

 その日は朝にカフェに行こうと誘われ、5:00に起きた。睡眠時間は5時間。多分辛い一日になるんだろうなと思っていたのだが、なんとその日は一日中眠くなる時間がなかったのだ。私は早起きによって最高の一日を送ることができると気がついたのだ。

 早起きは三文の徳って本当だったんだなぁと思った日だった。